京都山科「音羽・大塚・音羽川」地域・二千年の歩み

鏡山次郎　作

第九章　山科「大塚」地域・二千年の歩み

　以下の文章は、「京都山科『音羽・大塚音羽川』地域・２０００年の歩み」の「第九章　山科「大塚」地域・二千年の歩み」　の「（四）桓武天皇と皇塚」　にあたるものである。

（天神社（大塚大岩））

（四）桓武天皇と皇塚

皇塚

　国道一号線と奈良街道との交差点を南に進み、新幹線のガード下をくぐって少し行くと西側に「皇塚」と呼ばれる塚がある。昔は「王塚」「御塚」とも呼び、地名「大塚」の由緒とされている。北側の道は「京道」あるいは「京行道」と呼び、昔からの古道である。年配の方の話によれば、音羽小学校ができるまで、山階小学校に通う大塚の子どもたちはこの道を通って学校まで行ったという。

　大塚西浦町の北東角にあたる「皇塚」を中心にして、地理的に見れば、表鬼門（北東）に牛尾山、裏鬼門（南西）に坂上田村麻呂墓、乾（北西）には京都御所があり、昔から「相当に高貴な人の墓ではないか」とも言われていた。

　この「皇塚」は、一説では「平安京に遷都した桓武天皇の墓」とも言われているが、明治初期頃に多くの資料が散乱したということである。地元の方の話では、明治維新になってこの場所が「桓武天皇の墓」と指定されてしまえば、整備のために立ち退きやその他、さまざまな問題も予想されたため、資料が焼却されてしまったのではないかということである。それ故、桓武天皇の墓であるかどうかについては定かではないが、もしそうだとしたら日本の歴史上きわめて大きな出来事であると言わなければならない。

　桓武天皇陵は現在、伏見区の柏原陵(かしわばらのみささぎ)とされている。しかし、これは幕末～明治時代になってから指定されたもので、歴史上では中世の動乱期において陵墓の所在は不明になっており、現在の陵墓の場所に定められた根拠は乏しいとされている。

　桓武天皇は本名を山部親王(やまべのみこ)といい、光仁天皇の第一皇子として、天平九（七三七）年に生まれた。天応元（七八一）年に四五歳で即位し、延歴十三（七九四）年に都を京都（平安京）に定め、大同元（八〇六）年に崩御している。在位期間は二六年間であった。

　桓武天皇の平安遷都に関しては、日本歴史上詳細に調べられているので、改めて記することもないが、概略を述べると、平城京での奈良仏教各寺の政治的影響力の肥大化を嫌い、新政の場所を求めて、延暦三（七八四）年に一度は長岡京へ遷都したが、翌年、造営の中心人物藤原種継(たねつぐ)が暗殺されたり、皇太弟早良(さわら)親王が廃位され死亡する事件があったりしたため、延歴十三（七九四）年に同じ山背の葛野(かどの)に遷都し、「平安京」と命名したものである。

　新政をはじめた桓武天皇は、坂上田村麻呂を起用して蝦夷討伐にあたらせたり、国司・郡司に対する監督を強化するなど、律令制の強化に力を注いだ。この政策は大いに成功し、平安時代四〇〇年の基礎を築くことになったのである。

　桓武天皇の平安遷都には、山科の「天智天皇陵」の存在が大きく関係しているとも言われている。桓武天皇は天智天皇の曾孫(ひまご)にあたり、天智系の血を受け継いでいる天皇である。そして、天皇律令制国家の創始者である天智天皇を深く尊敬していたという。だから「天智天皇陵」の近くに都を置くことで、自らの政治改革の決意を示したのではないかと思われる。また、自らの死に際しても、この山科の地で葬られることを望んだとしても決して不思議ではない。山科には「桓武天皇の平安遷都に随従して、この山科に移り住んだ」と言い伝えられている家も見受けられ、桓武天皇との深い関わりがあったことを示している。

　桓武天皇は平安遷都に際して三つの山陵に報告を行っているが、その最初に挙げられているのは「山階陵」つまり天智天皇陵である。他の二つは「後田原陵（光仁天皇陵）」と「先田原陵（志貴親王陵）」で、光仁天皇は父、志貴親王は祖父、天智天皇は曾祖父という関係になる。「平安京の設定と、天智天皇は強く結びついているのであって、葛野郡宇太村に平安京が営まれることになるのは、曾祖父の偉業を慕って、なるべくその近くにということで選ばれたという可能性も強い」（京都市『史料京都の歴史⑪　山科区』平凡社、一九八八年、二六ページ）のである。つまり、平安京の東に山科があったのではなく、山科（天智天皇陵）の西横に平安京を持ってきたというわけである。

　「（桓武天皇は）時に又有司を山科の本御料地に遣わされて、山林を調査せられ、住民に課するに、木石を伐採せしめて、これを新都に運搬せしめ、土木の事に従はしめたまふた。又王城東方の鎮護として、当鄕の大塚に星宮を建立せられたが、此の際にも当郷の住民は相当の奉仕をしたこととと思はれる。而して当郷の士にして、既に奈良の朝廷に奉仕していた者は、その御遷都あるに従って、新宮に供奉していたが、平安城に遷都あらせられて後は、永く山科郷に土着して、世々衛門の職、薹(とう)盤の任を忝ふし、新嘗の穀、内膳の籾(もみ)を百代に献納して、以て近世に継承に来つたのである」（京都府山科町役場編『京都府山科町誌』（復刻版）臨川書店、一九七三年、三六～三七ページ）

　こうして考えて見ると、普通は「山科は京都の東端」と言われるが、実は「平安京は山科の西隣に造られた」と言えるほど、山科と平安京遷都との関係は深いのである。

　桓武天皇は、その後も山科には度々行幸している。『類聚国史』の延暦十三（七九四）年十二月二四日の条に「（桓武天皇）山科野に遊猟す」とあり、また『日本紀略』延暦二〇（八〇一）年四月十九日の条には「（桓武天皇）参議紀朝臣勝長の山階宅に幸す」（京都市『史料京都の歴史⑪　山科区』平凡社、一九八八年、五八ページ）と記されていることからも、山科との密接な関係が伺えるのである。また、桓武天皇の命により、この地に官田や荘園が設けられ、山科は新嘗祭(にいなめさい)などでの米や粟などを献納することとなる。

　桓武天皇、京都に御遷都あらせられて後は、官田又は御園を當郷の地に置かせられ、供御の稲、年々欠くことなく、奉献せしめたまふた。殊に新嘗祭に用ひたまふところの米、栗は、上世よりの格式に依って、當郷より奉つたものである。････又五月五日の端午の御節会には、當郷より早瓜一捧を奉ることは、醍醐天皇の御宇に制定されれた延喜式の定むるところであって、その瓜園は四宮及び竹鼻の地にあったものである。
（京都府山科町役場編『京都府山科町誌』（復刻版）臨川書店、一九七三年、三八ページ）

　このことが、平安時代における寺院の創建から近世の禁裏御料所や山科郷士に至るまで、山科と朝廷との千年以上にわたる深い関係が続く端緒となるのである。

王城の地を守る「星宮」

　ところで、この大塚地域に建立されたという「星宮」とは、どの場所にあって、またいかなるものであったのだろうか。愛知県名古屋市には、「星宮社(ほしみやしや)」というものがある。この神社の創建は、舒明天皇九（六三七）年に「この地に星が降り、それを祀るために建てられた」といわれているが、大塚の「星宮」もそうしたものであったのかも知れない。

　大塚には「天神社」（大塚大岩）と呼ばれる神社があり、これは資料が消失し由緒などは不明とされているが、現在は菅原道真が祀られている。この神社の祭神である菅原道真との関係で言えば「天神社」の「天」は、北野天満宮や太宰府天満宮のように「天満宮の天」と解釈するのが普通であろう。ただし、「天神社」については、古くは「天津神(あまつかみ)を祀る神社」という意味があり、これは菅原道真とは関係がない。「天津神」とは、日本の神話の中に登場する「高天原から天降った」神の総称であり、もともと「天神社」には、菅原道真が祀られる前には「天津神」が祀られていたと考えることもできるのである。

　「天」と「星」とは、近い言葉でもある。宝永二（一七〇五）年七月の『比留田家文書』では、大塚の天神社を「天神之社」と書いており、言葉どおりに「天神を祀る社」と解せば、「菅原道真を神とする天神信仰による神社」とも考えられるが、しかし「天神信仰」そのものは、前述したように、本来「天津神」への信仰であったのが次第に「天神（雷神）」に対する信仰になり、さらに道真の死後「火雷天神」と呼ばれ、道真が雷神信仰と結びついたことなどを由来とし、次第に道真の神霊に対する信仰もまた天神信仰と呼ばれるようになったものである。

大塚の「天神社」が、菅原道真生前にも存在していたのであれば、「天神を祀る社」はまさに「天を祀る宮」であり「星ノ宮」と同意語となり、「天神社」の創建が桓武天皇による「星宮」の一部と解しても不思議ではない。

　また、この「天神社」に隣接して、すぐ西側の大塚元屋敷町から大岩にかけての広大な地域に「元屋敷廃寺遺跡」が発掘されている。この寺院跡は、「寺院の詳細は不明」（『京都市遺跡調査』）とされているが、平安時代のものであれば、「天神社」との密接な関係も推定される。当時の神社や寺院は神仏混淆(こんこう)で、神社の中に寺があったり、寺院の中に神社があったりすることも多く、これが「星宮」の本体であったとすると、桓武天皇の命により建立された広大な社寺であったとも考えられる。

　明治三一（一八九八）年刊の『宇治郡名勝誌』には、妙見寺の項で「創立年代詳ならず。開基の僧何人なるかを知らず。然れども当寺の本尊妙見大菩薩は霊像（春日の作と云う）にして人皇五十代桓武帝の御宇王城の四方に祀りし星の宮の一なりと云う」（京都市『史料京都の歴史⑪　山科区』平凡社、一九八八年、四一九ページ）と記載されている。道教思想でいうところの「北極星」「北斗七星」などの星は、仏教思想で表せば「妙見菩薩」に該当する。こうして、元屋敷町に境を接している妙見寺もまた、広大な「星宮」の一部であったことが伺えるのである。

　いずれにしても、「王城東方の鎮護として」、天神社・元屋敷町・妙見寺付近を含む壮大な地域が「星宮」とされていたことが予想でき、この大塚の地が重要視されていたのは間違いないのである。