鏡山次郎ＨＰ

ふるさとの会文章部会　寅次郎　編

（ふるさとの良さを活かしたまちづくりを進める会　文章部会　部員）

除夜の鐘の記念札

除夜の鐘

　「ゴーン！…」

　鐘の音とともに伝わってきた空気の振動を感じながら手を合わせ、心の中で“南無阿弥陀仏”と唱えた。

　令和６年１２月３１日（大晦日）の夜、私は、本願寺山科別院（西御坊）の鐘楼において除夜の鐘をつかせていただいた。

　“ようやく念願の除夜の鐘をつくことができた……”

　生まれて初めてついた除夜の鐘の余韻を味わいながら鐘楼の外に出た。

　ふるさとの会の世話人になった令和５年の大晦日は、別の用事があって除夜の鐘をつくことができなかった。

“今年こそはつきたい！”

そんな思いを持って参加させていただいた。

　午後１０時半過ぎに西御坊に到着し、本堂でお参りをした後、除夜の鐘の記念札（写真）をいただいて鐘楼に向かった。記念札の番号は２７だった。私の前には、家族連れだと思われる大人や子どもが数組並んで自分の番号が呼ばれるのを待っていた。

　ゴーンという音が響くたびに私の前の列は少しずつ短くなっていった。

　「２７番目の人、どうぞ」

　いよいよ私の出番だ。

　鐘楼の中に入ってゆっくりと綱を引いた。
　綱の動きに合わせて撞木（しゅもく）は動き出し、それは勢いよく鐘に当たった。

　除夜の鐘の記憶を遡ると、小学生の頃に山口県の実家で聞いた除夜の鐘の音が蘇ってきた。私の家のすぐ前には曹洞宗のお寺があった。紅白歌合戦が終盤に差し掛かる頃、お寺から「ゴーン」という鐘の音が家の中にいても聞こえてきた。その音を聞くと、父は、子どもたちに外出の準備をさせ、紅白歌合戦が終わると同時に、家族そろって家を出てお寺に向かった。お寺では和尚さんが鐘をついていた。鐘楼の前で手を合わせた後、鐘の音を聞きながら日付が変わるのを待って、お寺の裏山の中腹にある金毘羅神社まで階段を昇って行き、初詣を行うというのが我が家の恒例の過ごし方だった。これは高校を卒業するまで続いた。

　京都にやってきてから長い間、京都で除夜の鐘を聞く機会はなかった。年末年始は毎年、山口県の実家に帰省していたからだ。それは結婚して子どもができた後も同じだった。

　私が京都で除夜の鐘を初めて聞いたのは、東山区長になった年の大晦日だった。それは、大晦日に度々テレビ中継されることで有名な知恩院の鐘だ。
　大晦日の夜、朮（おけら）参りでにぎわう八坂神社の南門の隣に設置されたテントに詰めている地元八坂学区の消防団の団員たちを激励するのが区長の役割だった。消防団の団員は、八坂神社の境内だけでなく、知恩院の鐘楼の周りの見回りも交代で行っていた。
　私がテントに行って団員たちと話をしていると、知恩院の鐘楼の見回りに向かう団員が声をかけてきた。

　「区長、これから知恩院の鐘のところに巡回に行くけど、よかったら一緒に行かないか？」

　知恩院の除夜の鐘はあまりにも有名なので、鐘楼の周りには事前申し込みをした見物者がたくさんひしめきあっていて近寄れないと聞いていた私は、思わず聞き返した。

　「見物者がいっぱいで近寄れないと聞いているけど、私が一緒に行っても大丈夫ですか？」

　「わしと一緒に歩いて行けば大丈夫だよ」

　それを聞いて私の胸は高鳴った。

　こうして私は消防団員と一緒に知恩院の鐘楼に向かって歩くことになった。鐘楼の周りには予想通り見物者が群がっていたが、その間をすり抜けるようにして鐘楼のすぐ横までたどり着くことができた。日本三大梵鐘の一つとされる巨大な梵鐘が目の前にあった。

　知恩院の梵鐘は、鐘そのものの大きさは言うまでもなく、撞木の太さや長さも特大で、親綱と子綱を合わせて１７人の僧侶が綱を持ち、勇壮に除夜の鐘をつく様子は迫力満点だった。これを間近に見ることができて感動した。そして、鐘の音も腹の底にまでドーンと響くような迫力があった。

　幸運にも私は、区長時代に毎年知恩院の除夜の鐘をつく様子を見ることができた。ただ、八坂神社の詰め所で消防団員と共に新年を迎えていた私は、東山区内のそれ以外のお寺の除夜の鐘を聞く機会はなかった。東山区内には一般の人にも除夜の鐘をつかせてくれるお寺がいくつかあり、そのお寺がある地域の人からは、鐘をつきに来ないかと誘われることもしばしばあった。その誘いの話を聞いて、“自分でも一度除夜の鐘をついてみたい”と思ったが、区長時代には結局それは叶わなかった。

　そんな経過があったので、西御坊の除夜の鐘をつかせていただいてようやく念願が叶ったのだった。

　西御坊の除夜の鐘のお世話をされているふるさとの会の住友代表の話では、２８０名を超える方々が今回の除夜の鐘をつきに来られたそうだ。除夜の鐘は、１０８回つくのが普通だが、お寺によっては２００回以上つくところもあると聞いたことがある。西御坊もその一つなのだろう。

　除夜の鐘を１０８回つくのは、１０８つあるという人の煩悩を取り払うためだと言われている。なぜ煩悩の数は１０８つなのか？

　よく言われているのは、六根（6）×好・悪・平（3）×浄・染（2）×過去・現在・未来（3）をすべて掛け合わせると108になるという説だ。ここで六根とは、人に感覚を生じさせ、迷いを与えるもののことで、眼、耳、鼻、舌、身、意の6つを指す。好・悪・平は人間の感情のあり方を表していて、好＝快感、悪＝不快、平＝どちらでもないというあり方だ。浄・染は浄＝きれい、染＝きたないという意味だ。

もう一つは、四苦八苦という言葉に由来しているという考え方で、四苦（4×9）と八苦（8×9）を足した数が108になることから、煩悩は108つあるとされている説だ。ここで四苦とは、生・老・病・死の四つの苦を意味する。この四苦に、「愛別離苦（あいべつりく：愛している人と別れなければならない苦）」、「怨憎会苦（おんぞうえく：憎い人と会わなければならない苦）」、「求不得苦（ぐふとくく：求めているものが得られない苦）」、「五蘊盛苦（ごうんじょうく：人が生きていることそのものが苦に満ちている）」の四つの苦を足すと八つの苦になるというのが四苦八苦の意味である。

この二つの説のどちらに説得力があるかどうかは置いておくとして、若いころの私は、「四苦八苦している」という言葉をよく使っていたことを思い出す。当時の私は、他者と自分を比べて自己嫌悪する思いが非常に強くて、自分は生きるに値しない人間だと思っていたが、他方では、自分が死ぬことを思うと怖くて仕方がなかった。今から思えば、そんなことで四苦八苦していた自分の未熟さがおかしく感じられるが、当時の私には切実な問題だった。
このような自分の状況を何とかしたいと思った私は、「四苦八苦」という言葉を辞書で調べ、それが仏教に由来することを初めて知った。

“仏教を勉強すれば自分の悩みが解決できるかもしれない…”

そう思った私は、仏教の本を読み漁るようになった。そして、釈迦が説いた教えの一つに「四聖諦（ししょうたい）」というものがあることを知った。四聖諦とは、四つの聖なる真理のことであり、具体的には「苦諦（くたい）」、「集諦（じったい）」、「滅諦（めったい）」、「道諦（どうたい）」である。
苦諦というのは、人生は苦であるということ（仏教ではこれを「一切皆苦（いっさいかいく）」ともいう）であり、ここで「苦」とは、「自分の思うとおりにならないこと」を意味している。具体的には、先ほど述べた四苦八苦の八つの苦を意味し、これらはすべて自分の思うとおりにならないことなのに、それを思うとおりにしたいと願うから苦が生まれるということである。
集諦というのは、これらの苦が生まれる原因を意味しており、その原因は、「自分」という存在にとらわれることだと言われている。
滅諦というのは、苦を生み出す原因を取り除けば苦は滅するということを意味している。すなわち、自分という存在にとらわれなくなれば苦はなくなるということである。
道諦というのは、苦を滅するための実践方法であり、具体的には八正道、すなわち、正見（しょうけん）、正思惟（しょうしゆい）、正語（しょうご）、正業（しょうごう）、正命（しょうみょう）、正精進（しょうしょうじん）、正念（しょうねん）、正定（しょうじょう）の八つの実践である。個々の説明は省略するが、要は釈迦の説いた教えを生活の中で正しく実践すれば自分という存在にとらわれなくなるということであると言われている。八正道の中で仏教の宗派によって実践内容が大きく異なるのは、最後の正定である。正定とは瞑想法のことであり、坐って行うものや身体を動かしながら行うもの、真言や呪文のようなものを唱えるものなど様々なものがあると言われており、坐禅や念仏もそれに含まれるとされている。

“私が自己嫌悪になるのも、自分の死を恐れるのも、「自分」という存在にとらわれているからであり、八正道を全うすれば自分にとらわれなくなり、苦がなくなるかもしれない…”

そう考えて釈迦の教えに従って日常を生きることに心がけるとともに、瞑想法として坐禅や念仏にも取り組んでみた。しかし、様々な欲望や感情や雑念などに振り回されてしまい、それらを全うすることは到底できなかった。

ところが、不思議なことに、年を重ねていくにつれて「四苦八苦」に悩む気持ちがだんだんと薄れていった。

“煩悩がなくなったわけでは決してないが、多くの人と出会い、様々な経験を重ねていくうちに、「人生はしょせん自分の思うとおりにはならないのであり、それは自分だけでなく誰でも同じなんだ」という諦めのような境地になったのかもしれない…”

　西御坊で除夜の鐘をつかせていただいたとき、そんなことが頭に浮かんできた。

　除夜の鐘をついた翌朝、すなわち元日の朝、私はいつも通り３時に家を出て二条城の周囲を歩いた後、公園で体操や筋トレをした。７時を過ぎたころ、東の空が明るくなってきたので再び二条城の周りを歩き始め、お城の南側の道を歩いているときに、東にあるビルの屋上辺りが明るく輝いてきたのを確認して足を止めた。

　しばらく見ていたら、令和７年の初日が雲の間からゆっくりと顔を出してきた。

　私はお日様に向かって手を合わせた。

　“相変わらず煩悩だらけの私だけど、そのときそのときを一所懸命に生きていきたい！”

　新年の抱負としてそんなことを思う私の頭の奥の方で、昨晩の除夜の鐘の音が鮮やかに蘇ってくるのを感じた。


（寅次郎　２０２５．１．２８）

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