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ふるさとの会文章部会 鏡山次郎 編
(ふるさとの良さを活かしたまちづくりを進める会 文章部会 部員)

「怠け」と座禅(下)
近年、私の母校に縁あって学校ボランティアとして協力させてもらっている。そんな中で、年に一回、近くのお寺へ学校の子ども達を連れて行って地域学習の一環として「座禅体験」をさせていただく機会がある。ご住職は、臨済宗妙心寺派の若い僧侶で、いつも快く子ども達を受け入れてくれる。
子ども達は事前にお寺の歴史を学んだり境内を見学したりして慣れ親しんではいるが、「座禅」は初めての経験なので、興味と不安が入り混じり、いつになく緊張して参加する。
ご住職は、そんな子ども達に、座禅の作法や座り方などをていねいに教えてくれる。まずあぐらを組んで座り、背筋を伸ばして手をおヘソのあたりで合わせ、目前正面の少し下あたりを見て、深呼吸をして身体を楽にして構える。呼吸はゆっくりと吸ってゆっくりと吐く。静かに自分の呼吸を数える・・・・。10まで数えると、また1から始める。心が落ち着かない場合は、合掌して合図をすると、警策(ケイサク)を受けさせてもらえる、などである。私も、子ども達と共に「座禅体験」に臨む。こうして約10分間の「座禅体験」が終わるが、終わったあとの子ども達は、ずいぶんとすがすがしい顔になっている。
こうした中で、「静かに自分の呼吸を数える」がなぜ必要なのかという意味が最初はわからなかったが、今に至って「ああ、そうだったのか」と理解できる。つまり、心の中で数えるという行為を通して呼吸に集中することによって、他のことを忘れられるからである。“雑念”に惑わされない方策なのだ。こうして「呼吸を数えることに集中する」ことから「他のよけいなことを考えない(雑念を受け流す)」へと進み、脳の「自動運転モード」のスイッチが入るのだ。
テレビ番組の、①背すじを伸ばし軽く目を閉じる、②深呼吸する、③雑念を受け流す、は奇しくも「座禅」の方法に酷似している。テレビ番組では「疲れたら1分でいいから、これをやってみる」「今の現代人や子ども達は“何も考えないで、ボーッとする時間”を持ったことがない」「これはいい時間」と推奨していた。
これは「上手な怠け方」だ。「何もしない」「ボーッとする」だけで良い。「やることがあるのにやらないで」ブラブラ、ゴロゴロしていたら、「怠け」は丸見えだが、人は座禅をしている人に対して「怠け者」とは言わない。
一生懸命修行に励んでおられる僧侶の方々には、大変不謹慎だと思いつつ、私はこれから自分が「怠け」たい時、「座禅のまねごと」をしてみようかと思っている。むろん私などが僧侶の修行などできるはずもなく、「“座禅”を侮辱している」「ニセ座禅」「座禅もどき」とのそしりを受けるに決まっているのだが、平に許しを請うて、自分のために良い方法があるのなら、どんどん取り入れたい。
ただ“怠け”てばかりいれば、いつまでも“やらねばならない”ことは残ったままだ。最後に、この問題をどう解決するかである。そのためには、「怠け」モードから「やる気」モードに変えてドーパミンの量を多くしなければならないが、「やる気」を起こすのには、どうすれば良いのだろうか。以下は、私の実践である。
朝、目覚まし時計が鳴る。「うるさい」と思い、寝ぼけ眼(まなこ)で止める。まだ眠たい。脳から「もうちょっと休ませて」のサインが出ている。午前中に用事のない時は、そのまま再び寝る。しかし、用事のある時は、そうも行かないから、心の中で自問自答する。「起きられるか?」「ムリ」。「寝返りができるか?」「それならできる」と寝返りをうつ。「四つ這いになれるか?」「なんとか」と四つ這いになる。「立てるか?」「う~、う~ん」と、やっと立つ。まずトイレに行く、これは必須。少し頭が目覚めてくる。終わってから、「部屋に帰っても、再び寝ない」と固く誓って部屋に戻る。「眠たい」という気持ちと闘いつつ、服を着替えて寝具を片付けると、「もう寝られない」と諦めて、時計を見る。「出発は何時だから、それまで洗面と、食事と、準備を済ませるのに、これくらい時間がある」と考えて、少し余裕を持つくらいにして動く。そして、だいたい予定した時間ぐらいに家を出る。これで何とか「日常モード」になっていく。
昼、自宅に戻って昼食を取る。疲れたので午後はゆっくりとしていたい。自分が立てた予定では、次回の下見の資料を作ることになっているが、やる気は出ない。まあしかし、ともかく「机の前に座るダケでも」と座ってみる。私の机は、若い頃から「前学後遊」型になっている。「前学後遊」というのは、椅子に座ったら手の届く目の前に勉強や仕事の道具を置き、手の届かない目の後ろに遊び道具を置くという配置のことをいう。
机の正面にパソコンとキーボードがあり、座ったまま手の届くところに文房具、メモ用紙、資料、本などが置いてあり、雑然としている。まずパソコンのスイッチを入れる。毎日決まってするのはメールをチェックすることで、日によってはこの返事だけでおもわぬ時間を取られてしまうこともある。今日は幸い宣伝メールは何本か入っていたものの、返事を書かなければならないメールはない。
しかしまだ「やる気モード」には入っていないので、そこで次の下見の日から数えて何日までに資料を完成させなければならないかを考える。日にちが決まったので、電話で印刷機の日時を予約する。これで何時までに印刷原稿を仕上げなくてはならないかのタイムリミットが決まり、自分を追い込んだ。
次に下見資料の構成を考える。すでに行ったことのあるコースなら前回のものを参照すれば簡単だが、今回は新しいルートなので、そういう訳にもいかない。パソコンの中に保存されている関連の資料を探して、一つのフォルダーに集める。こうして準備資料を揃えてくると、まだ資料作成には至っていないが、だんだんと「作成モード」に入って行く。
そして、いよいよ原稿作成に取りかかる。実際に進めていくと、わからない所があったり、該当の資料がなかったりして、けっこう手間がかかるが、手元の本や資料を探したり、インターネットで検索したりして補充していく。その時点ではもう「やる気モード」に入っている。資料作成には図書館などに行って調べたり、何日もかかることもあるが、準備資料がうまく揃えば、半日ぐらいでできることもある。
時計を見る。私は夜の会合のある日を除いて、仕事は午後8時までと決めている。それ以後は、至急の仕事以外はしない。午後8時に風呂に入って、それから晩酌付きの夕食を食べて「いい気分」になり、明日の準備のあと余った時間に読書をして、12時までには寝る、という計画である。実際に寝入るのは午前様になることも多いが、この4時間は、一日がんばった自分へのご褒美である。
あと2時間か、今回は中心的な資料があったので、何とか8時までには仕上がりそうだ。「あと2時間だけ、がんばろう。もう少しだ。」
先のテレビ番組では「“怠け”から“やる気”を起こすこともできる」と、概要次のような点を挙げていた。①今、やる気が出ないのは、脳から「ちょっと休ませて」のサインが出ているからで、いったん後にして“怠け”て休もう。②小さい一歩から始めよう。机に座るダケ、教科書を開くダケでも良い。「やる気」が後からついてくる事がある。心理学ではこれを「作業興奮」という。③「片付け」を怠けておこう、教科書、ノートを机の上に広げておいたままにする、あえて出し放しにする。そうすると「始める手間」がはぶける。④「ご褒美」を自分で考える。「(仕事が)終わったらやること(楽しいこと・好きなこと)を考えて、セットにする。そうするとドーパミンが出やすい、などである。そして「“怠け”は使い方で味方になる」と結論付けている。
こうしてみると、けっこう怠惰な「怠け者」である自分に、対処してきた自分のやり方は、ある程度法則にかなっていたのかも知れない。
テレビ番組(Eテレ「ヴィランの言い分 怠け」)は、ずいぶんと参考になったが、ただ、テレビ番組では触れていないけれど、現代人の「やる気が出ないで、怠ける」の原因は、実はもっと全然別の所にあるのではないかとも思う。このことについてはまた別の機会に触れてみたい。
漫画家の水木しげるが、生前に語っていた言葉がある。
「怠け者になりなさい」
その時は意味がわからなかったが、今では心に響く名言であったと思う。(終)
(鏡山次郎 2026年5月26日)
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