| 鏡山次郎HP |
ふるさとの会文章部会 寅次郎 編
(ふるさとの良さを活かしたまちづくりを進める会 文章部会 部員)

ヒマラヤスギの上で公園を見下ろしているカラス
早朝の生き物観察
以前に「早朝の天体観察」(2024.12 №13)というコラムを書いたが、今回はその続編として生き物観察について書いてみたい。
京都市役所を2018年3月に定年退職したことを機に、毎日、早朝にウォーキングと公園での運動を行うようになって今年3月末で丸8年が経過した。今年1月までは、朝3時過ぎに家を出ていたのだが、2月の初めに肩を骨折した以降は、運動のメニューを見直したこともあって朝4時に家を出るようになった。家を出て1時間程度ウォーキングをした後、公園で5時から6時30分までストレッチ体操や筋トレを行い、6時30分からはラジオ体操をして7時ごろに帰宅するというのが日課だ。
ウォーキングや公園での運動のときに様々な生き物を見かけ、よく観察すると、結構面白い発見がある。以下では、これまでに気づいたことをいくつか紹介してみたい。
日の出前の暗がりの公園で運動をしているときによく見かけるのが野良猫たちだ。
公園のベンチで運動していると、近くで私の方を見つめている猫の視線を感じることがある。私がその猫に視線を返すと、少し後ずさりするような姿勢になりながらもこちらをじっと見つめている。多分私のことを警戒しているのだろう。猫から目を離して運動を続けていると、猫はいつのまにかどこかに行ってしまう。
暖かい季節になると、公園の広場で追いかけっこをしている二匹の猫たちを見かけることがある。多分、恋愛関係にある猫たちだろう。なぜそれが分かるかというと、二匹が連日公園に現れて追いかけっこをしているからだ。
オスだと思われる猫が身をかがめながらゆっくりとメスの猫に近づく。オスがすぐ近くまで迫ったとき、突如としてメス猫が走り始め、それをオスが追いかける。その走る姿勢とスピードは、まるでアフリカの草原でチーターが走っているかのように見え、野生の猫のすごさを実感する。そして、追い詰められたメス猫は、公園の木の幹を走りながら登ることもあった。
“これが本来の猫の姿なんだ!”
ペットとして飼われている猫と違って、身が引き締まり、颯爽と走り回る野生の猫たちの姿にしばし見とれてしまう。
昨年の春に見かけたメス猫の色は真っ白で、オスは三毛猫のようだった。その数か月後にその白猫が子猫を連れて公園を歩く姿を目撃した。子猫の色も白だった。
“この子猫の父親はあの三毛猫だろうか?”
そんなことを思いながら親猫と子猫を観察すると、二匹とも身体が瘦せ細っているのに気づいた。
“この猫たちは普段何を食べているのだろうか?”
ふと、そんなことが気になった。
暗がりの町中を歩いていると、猫よりも細長い動物が目の前をさっと走っていく姿を目撃することがある。多分イタチだろう。“こんな町中にもイタチが生息しているんだ!”と驚くとともに、“どんな場所に巣を作っているのだろう?”と思ってしまう。
ベンチで仰向けになって腹筋運動をしながら日の出前の薄暗い空を見上げると、蝙蝠(コウモリ)が小刻みにジグザグと飛んでいるのをよく見かける。蝙蝠は夜行性だから、夜中に飛び回ってこれからねぐらに帰るところなのだろう。
日の出前後の時間帯で、蝙蝠と見間違えそうになるのが燕だ。今年最初の燕は、4月の中頃に目撃した。日の出直後の少し明るくなってきた空を、大きくジグザグに飛び回る姿は蝙蝠に少し似ているが、飛ぶスピードは蝙蝠よりも格段に速い。こちらは、これから昼間にかけて餌となる小さな虫などを追いかけながら飛び回るのだろう。
日の出から少し時間が経って空が明るくなってくると、鳩たちの出番だ。
公園の周囲にある電線に音符のように並んでとまっている鳩たちを見ると、思わず「ポッポッポ、鳩ポッポ♪」と口ずさんでしまう。
公園の鳩たちは、人に慣れているせいか、時々ベンチで運動している私のすぐそばまで近づいてきて何かをついばんでいる。
“私が餌を与えるのを待っているのかもしれない…”
運動を続けていると、しばらくして鳩たちは別の場所にいる人のところに近づいてまた何かをついばんでいる。
そんな鳩たちにパンやお菓子のかけらなどを餌として与えている人を見かけることがある。その人の近くにいた2~3羽の鳩たちが与えられた餌をついばみ始めると、その様子を遠くから見ていた別の鳩たちが一斉に飛んできて、瞬く間に10羽以上の鳩たちがその人を取り囲んで餌をついばむようになる。鳩の中には餌を与えている人の手や肩にとまるようなものもいる。その様子を見ると、鳩たちが人に慣れているのも頷ける。
そんな鳩たちにも天敵がいる。
カラスだ。
公園の周りの電線に集団でとまっている鳩たちが突然一斉に飛び立つことがある。その鳩たちを追うようにカラスが飛んでいく。最初は偶然かと思ったが、ベンチで1時間くらい運動をしながら観察していると何度も同じことが繰り返されるので、鳩たちはカラスに追われて飛び立つことが分かった。
また、公園の広場で鳩たちが集団で何かをついばんでいるときにも、そこに突然カラスが舞い降りてきて鳩たちを追い払い、食べ物を横取りする様子もよく見られる。意地悪なカラスである。
“カラスはどこからやって来るのだろうか?”
鳩たちを追い払ったカラスが飛んで行く先を目で追うと、公園で一番背の高い木であるヒマラヤスギのてっぺんによく降り立つことが分かった。カラスは、そこから公園を見下ろし、鳩たちの様子を伺っているようだ(写真参照)。
“この公園全体がこのカラスの縄張りなのかもしれない!”
公園には、トビなどのカラスより強い鳥がいないので、カラスはこの公園における鳥類の親分として君臨しているのだろう。
しかし、鳩たちも負けてはいない。カラスに追われて電線から飛び立っても、またすぐに元の場所に戻ってきてにぎやかに鳴き続けている。カラスと鳩たちのいたちごっこのような光景を見ていると子どもの頃にテレビで見たアニメ「トムとジェリー」の主題歌を思い出す。
「トムとジェリー、仲良くケンカしな♪」
このようなカラスと鳩たちの追いかけっこに最初に気づいたのは7年くらい前であり、それから毎年その光景が繰り返されている。
多分、世代が代わってもカラスと鳩たちはこのようなことを繰り返しているのだろう。
公園の広場の真ん中に冬でも花をつけるフユザクラの木が二本植えられている。12月頃から咲き始めて一度5分咲きくらいになり、翌年1月以降は2~3分咲きの状態が続く。そして、3月の終わり頃からもう一度5分咲きくらいになって4月の初めに散ってしまう。満開になることがなく、花が咲いているときにも葉が茂っているという面白い桜だ。
春になると、この桜の木のあちらこちらの葉が小さく揺れているのが遠くのベンチから見ていても分かる。
“なぜ揺れているのだろう?”と思って木の近くまで行って観察すると、小さなメジロが数羽とまって花をついばんでいるのが見えた。
フユザクラの木の下にはベンチが二つ置かれていて、そこに人が座っているときにも、葉が揺れているのが見える。
メジロたちは鳴き声を出さずに枝にとまっているので、ベンチの人たちはメジロの存在に気づかないのだろうと思った。
私が運動しているベンチの近くでよく見かけるのはスズメたちだ。鳩と違ってスズメたちは私のすぐ近くにはやってこない。しかし、私を警戒しているような気配はなく、私から少し離れたところで小刻みに何かをついばんでいる。
スズメを見ると、小学生の頃に、母が子スズメの世話をしていたことを思い出す。
我が家の屋根瓦の下の隙間にあったスズメの巣から雛が地面に落ちているのを見つけた母が、雛を巣に戻したところ、なぜか親スズメがその雛を巣から突き落としてしまったのだ。母は、仕方なくその雛を保護することにした。巣から二度落ちたにもかかわらず雛は幸いにケガはしていなかった。
雛は、まだ産毛をつけた赤子のような状態であり、自分で餌を食べることができなかったので、母は、指で雛の口を開けて餌を入れて食べさせた。母は、はったい粉(大麦や裸麦などを焙煎して作った粉で、子どものおやつとして食べられていた)を水で溶き、それに小さな虫を混ぜたようなものを食べさせていたように記憶している。
雛は、それから元気に育って、自分で飛べる子スズメに成長した。母から「ピーちゃん」と命名された子スズメは、家の中を飛び回り、我が家の人気者になった。私が学校から帰って「ピーちゃん」と呼ぶと、私の近くにやってきて嬉しそう飛び回るビーちゃんが大好きだった。
ところが、ある日、ピーちゃんの姿が突然見えなくなった。家族総出でピーちゃんを探し回り、庭の隅で血を流して横たわっているピーちゃんを見つけた。
「猫に襲われたのだろう」と母は言って、ピーちゃんを掌に載せて介抱したが、しばらくしてピーちゃんは目を閉じて冷たくなった。
ベンチで運動している私の近くで元気に動き回っているスズメたちを見ると、ピーちゃんと今は亡き母の若き姿が懐かしく思い出される。
これらの鳥以外にも、公園では、セキレイ、ヒヨドリ、サギなどを見かけることがよくあり、たまにではあるが、これまで見たことがない珍しい鳥も何度か目撃したことがある。
また、ベンチで腹筋運動をしながら空を見上げていると、かなり上空でカモなどの鳥がきれいな隊列を成して飛んでいる様子を見かけることもある。
夏になると、木々の枝から蝉の声が聞こえてくる。難聴の私でも、補聴器なしでその声がよく聞こえる。
“補聴器を付けていたらうるさくて仕方ないだろうな…”
そんなことを思いながら、私が筋トレやストレッチをしている場所の近くの木々の根っこの周りの地面を見ると、小さな穴がいくつも空いていることに気づく。蝉の幼虫がそこから出て木の幹を登ったのだろう。木の幹には蝉の抜け殻がいくつも残っている。
運動をしている最中に、蝉が地面に舞い降りてジタバタと動き回っている姿を見かけることがある。“何をしているのだろう?”と思いながら見ていると、蝉の動きは次第に小さくなり、最後には動かなくなってしまう。
成虫となった蝉の寿命は7日くらいだと聞いたことがある。その間に、蝉たちは鳴き続け、子孫を残し、力尽きて地面に落ちてしまう。
小学生の頃に家の裏山でよく蝉取りをしていたことを思い出しながら、“その頃、もし蝉の寿命が7日だと知っていたら蝉を捕まえたりしなかったかもしれないなあ”と自分のやったことを悔いてしまう。
生き物の話の最後に、人のことを書いてみたい。
ウォーキングや公園での運動の最中に、たくさんの人々を見かける。ジョギングや散歩をしている人、犬と一緒に散歩している人、公園の遊具で遊んでいる人、体操をしている人、キャッチボールやサッカーのドリブルなどの運動をしている人、ベンチにのんびり座っている人など様々である。
毎日観察していると、それらの人たちの多くは、毎日決まった時間に決まったことをしているのが分かる。
毎日顔を合わせる人は、向こうさんも私の顔を覚えているのだろう。一度も言葉を交わしたことがない人とでも、目が合うとお互いに軽く会釈をするようになる。お互いのその距離感が結構気に入っている。
やっかいなのは、公園の地面や道端に横になって目を閉じている人だ。一見しただけでは、寝ているのか、病気などで倒れているのかの見分けがつかないのである。
放置するわけにはいかないので、近づいて声を掛けることにしている。
「もしもし、大丈夫ですか?」
8年間に、5~6人くらいの人に声を掛けたが、たいていの人は泥酔して寝ていて、私の声で目を覚まし、立ち上がってフラフラと歩いてどこかに行ってしまう。これらの人のほとんどは20代から40代くらいの若い男性だが、一人だけ30代くらいの女性がいた。
私も若い頃、泥酔して道端のベンチで寝てしまったことがあるので分かるのだが、周囲が明るくなって、他者から「大丈夫ですか?」と声を掛けられて目が覚めると、恥ずかしくて一刻も早くその場から立ち去りたいと思ってしまう。私が声を掛けた人たちも、多分そんなことを思ったのではないだろうか。
今年4月に、一度だけ行き倒れて動けなくなっている30代くらいの男性を保護したことがあった。
夜中に降り続いていた雨が明け方に上がったので、いつもの時間に公園に行ったときのことだ。
犬を連れた若い女性が私に声を掛けてきた。
「携帯電話をお持ちですか?」
私が、「持っていますよ」と答えると、
「あそこの木のところに人が倒れています。携帯電話で救急車を呼んでいただけますか?」
その女性はそう言って遠くの木を指さした。
女性と一緒にその木のところまで行くと、着ている服が雨に濡れ、泥だらけの状態で横になっている男性を見つけた。男性の身体は小刻みに震えていた。
「もしもし、大丈夫ですか?」
私が声を掛けると、男性はゆっくり目を開けた。泥酔している人ではないことはすぐに分かった。
「救急車を呼びましょうか?」
私の声に、男性は小さく頷いたが、衰弱していて会話ができる状態ではなかった。
「救急車を呼びますよ!」
私はそう言って、携帯電話で119番に通報した。これが私にとって初めての119番通報だったが、救急指令センターとの会話は思っていたよりもスムーズにできた。
救急車が到着するまでに10分くらい時間がかかった。その間、私は、男性に「救急車がすぐ来るので頑張ってください」と何度か声を掛けた。
男性が救急車に乗せられた後、救急車が病院に向けて出発するまでに15分以上も時間がかかった。病気やケガではなく、行き倒れて衰弱し動けなくなった人を受け入れる病院がなかなか見つからなかったのかもしれないと私は勝手に想像した。
早朝の3時間に、ウォーキングや運動をしながら生き物たちのいろいろな様子が見られることは、私の毎朝の密かな楽しみでもある。ただし、公園や道端で寝ている人を除けばではあるが…。
(寅次郎 2026.5.26)
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