鏡山次郎HP 

ふるさとの会文章部会 なにば 編

(ふるさとの良さを活かしたまちづくりを進める会 文章部会 部員)




森山大道著『犬の記憶』より


水無月に思うこと




 6月は水無月と呼ばれます。雨の季節なのに、なぜ水がない月なのかと不思議ではありますが、旧暦の水無月は今の7月で、梅雨が明けて暑くなる時期なのです。田んぼに水を張る時期なので、「水な月」つまり「水の月」という説もあります。「な」の「無」は当て字です。また、田植えが終わり大きな農作業が一段落し、「皆仕月(みなしづき)」が変化したという説もあります。「青水無月」「風待月」「松風月」などの別名を聞くと、風流な月だなあと改めて思います。京都には「みなづき」というお菓子があります。ういろうと小豆の素朴なお菓子で、6月30日に食べていた時期もありましたが、今は全然食べなくなりました。

 水無月について調べたのは、若い歌人2人が開催する「歌会」に参加したからです。「歌会」と言ってもかしこまった会ではなく、きわめてカジュアルな会です。主催者が20代で、参加者も若い人が多いのですが、私も仲間に入れてもらえてうれしいです。主催者のお一人は教師、もう一人は和菓子職人です。この日は、お茶とお菓子(紫陽花をイメージした創作和菓子)をいただきました。

 現代短歌(ニューウェーブ短歌)は口語体で、季語を気にしなくてもよく、字余り字足らずももちろんOKです。ただし、現代短歌は繊細かつ深淵で、作品の背景や作者の思いや心の叫びなどを推測しなければなりません。もちろん、推測に正解はなく、読者の解釈は自由とも言えますが、現代の生きづらさを表した短歌をいくつか挙げてみます。未来に希望が持てない状況が伝わり、その絶望的な心境に心が痛みます。特に、最後の萩原慎一郎の歌は「つらい状況でも生きなければならない」と自分に言い聞かせているようで、せっぱつまった感じが痛々しく響きます。この歌人は33歳の若さで命を絶ちました。子ども時代のいじめが大きなトラウマとなり、繊細な彼にとって現実の世界は辛すぎたのでしょう。

こんなにもふざけたきょうがある以上どんなあすでもありえるだろう
桝野浩一(ますのこういち)

人生をやっていることにはなってるがあまりそういう感じではない
工藤吉生(くどうよしお)

生きるとは死へ向かうこと薄明は部屋を青へと染め上げていく
伊波真人(いなみまさと)
まだ何もしていないのに時代という牙が優しくわれ噛み殺す
荻原裕幸(おぎわらひろゆき)

癒えることなきその傷が癒えるまで癒えるその日を信じて生きよ
萩原慎一郎(はぎわらしんいちろう)


 私自身にも漠然とした不安は常にあります。めまぐるしく変わる世界情勢、あちこちで起こる戦争や紛争や諍いなど、個人的にできることはなにもなく、「今は戦前だ」とさえ感じることがあります。それを言うとたいていの人は嫌な顔をしますが、友人のイギリス人は共感してくれます。いずれにせよ、個人としては「死ぬまで生きる」のであり、あと何年生きられるかわかりませんが、死ぬまでの日々を大切に生きようと思うばかりです。

 「終活」という大仰な作業ではなくても、少しずつ身辺整理をしようとも思っています。

 最初の一歩は、不要な物を処分することです。水無月に行ったのは紙類の処分です。仕事のために作成した資料、講座に出ていたころもらった資料、病院の明細書、映画・展覧会・イベントのチラシ、寺社のパンフレットなど、紙類がやたら多くなり、それらをファイルしていたのですが、ファイルを見返すことはほとんどありませんでした。今回、いろいろなものをファイルから出して、「これはまだ必要」「これは不要」と分けましたが、見極めが難しいものもあり、分別にかなり時間がかかりました。次に不要な紙類のチェックです。まず、個人情報が入っているもの、個人情報のないものに分けます。裏紙として使えるものは小さく切ってメモ用紙としてまとめました。それ以外の紙類で、個人情報が入っているものは細かく刻んでゴミ袋に入れました。個人情報のないものはエコまちステーションに持っていき、リサイクル用雑紙のかごに入れました。書類を入れていたファイルも10冊ほど不要になったので、ゴミに出しました。一方、「これはまだ必要かも」と残しておいたものも、実際には読み返すことはないかもしれません。そして、今後も紙類が増える可能性もあります。ですから、この作業は将来も延々と続くことになりそうです。

本の処分は比較的簡単です。もう二度と読まないと思われる本、あるいは今後読みたくなったら図書館で借りられる本は手放しました。手放す方法はいくつかあります。ひとつは古本屋。ときどき行く古本屋は5冊本を持っていくと、本屋の棚にある好きな本を1冊持ち帰ることができるという物物交換のシステムをとっています。私はこの方法が気に入っています。ただし、この店ではどんなに新しい本でもビジネス本やハウツー本や自己啓発本などは受け取ってくれません。もうひとつは京都市が犯罪被害者支援として実施している「ホンデリング」です。ホンデリングに出せる本として、①ISBN識別番号がある ②初版が2011年以降である という条件があります。最終的な手段としてはBook-Offに売るという方法もあります。Book-Offでも本を厳しく選別しているので、汚れが目立つ本やサイン本などは0円となります。0円の本は返却されるのではなく、Book-Offで処分してくれます。処分方法はリサイクルなのか焼却なのかはわかりません。Book-Offには本を売った代金を慈善団体に寄付するという選択肢もあり、私はそれを利用したことがあります。

衣類も少し処分しましたが、まだまだこの先の分類作業が残っています。食器類は今必要最小限のものだけとなりました。茶事用の茶碗、織部焼のごはん茶碗、備前焼の菓子器、備前焼の湯飲みなど高価な陶器もありましたが、重いし、今後は使わないだろうと判断して、陶器のリサイクルに出しました。

とにかく、私の死後に残るものを少なくしたいと思っているので、これからも物を減らす作業は続いていきます。死の準備に関してはまだまだ熟考しなければならないことがあります。エンディング・ノートや遺言書を書くのか、だれに遺品整理を頼むのか、孤独死を防ぐために何をすべきか、そういったことを真剣に考える時期が間近に来ています。

 今年のKYOTOGRAPHIEで最も注目を浴びた写真家が森山大道(もりやまだいどう 1938年大阪生まれ)です。カリスマ写真家で、国内でも海外でも圧倒的な支持を受けています。うらびれたもの、はみだしたものなどの一瞬を切り取り、わざと焦点をぼかしたり、影を入れたりした写真には独特の世界観が感じられます。桜の写真も白黒でプリントされ、美しいというより不穏な感じに見え、梶井基次郎の『櫻の樹の下には』や坂口安吾の『桜の木の満開の下』などを思わせます。

 犬の写真は森山の著書『犬の記憶』の表紙にも使われました。この犬はアメリカ軍によって三沢基地に置き去りにされて、野犬になったのだそうです。やさぐれた犬の横顔は「大事にされた過去もあったが、今は浮浪犬だ。だが、なんとか生き延びよう。そして、死ぬときは静かにそれを受け入れよう」と言っているような表情にも見えます。一度見たら忘れられない写真です。
 森山大道は文筆家としても多くの本を出しています。京都に住んでいた時期もあり、久しぶりに京都を訪れて変貌した街を見たときに頭に浮かんだことをこう記しています。
 「気がついてみれば、生きてきた過去(きのう)には手ざわりがなく、現在(いま)生きていることにも足がかりがなく、まして未来(あす)がわからないとすれば、不安の中で人はあらためて個の記憶を洗いなおす作業に取りかかるのかもしれない」(『犬の記憶』初版1984 文庫新装版2022)

 深みのある一節が犬の写真とともに心に残りました。


(なにば 2026年6月23日)



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