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(正式名称 山科を学ぶ同好会)




牛尾山法嚴寺 本堂


山科の歴史


第7章 清水寺と牛尾山法嚴寺


講師 鏡山次郎

第一節 奈良時代の山科
 


 奈良時代の山科に関しては史料が少なく、実際のところあまりよくわかっていません。ただその中でも山科に関係する事項を挙げてみると、次のようになります。

 元号  西暦  出来事
和銅 3年
 
 710
 
平城遷都に際し、鎌足の子不比等は厩坂寺を平城京左京の現在地に移転し「興(こう)福(ふく)寺(じ)」と名付けた。
和銅 4年  711 折上稲荷神社が創建される(社伝)。
神亀 4年  727 渤海国の通信使が奈良街道を通る。山科に鴻臚館(こうろかん)がある。
神亀 5年
 
 728
 
行基は、興福寺の前身であった山(やま)階(しな)寺跡地を訪れ、荒れ果てた墓地を整備し、仏堂を建てた。(片山墓地)
天平13年

 
 741

 
聖武天皇が山科に行幸。(神亀年中(724~9)説もある)一時大宅に滞在したので、以後「大宅(公)」と呼ばれる。(岩屋神社文書)
天平宝字
   3年
 759
 
『万葉集』(巻2)に、天智天皇陵を去るにあたっての額田女王の「挽歌」が掲載され「鏡山」が初見する。
宝亀 元年
 
 770
 
大和國高市郡小嶋寺の賢心法師(後の延鎮)が音羽山に入山し、寺を開く。(音羽山観音寺・寺伝)
宝亀 9年
 
 778
 
4月17日、嚴法寺(牛尾山法嚴寺)が創建される(寺伝)(音羽山清水寺は、同年4月8日に創建と伝える)
宝亀11年

 
 780

 
夏、坂上田村麻呂が音羽山に入山し、鹿の生肝をとろうとするが、延鎮に諭され改心、当山観世音菩薩の篤信者になる。(『法嚴寺由来』)
延暦13年

 
 794

 
桓武天皇が平安遷都を行い、曾祖父である天智天皇陵に遷都を報告する。
桓武天皇が山階野へ遊猟をする。

 奈良時代に山科に関する記述が少ないのは、「壬申の乱」の結果、都が明日香に移ったことや、藤原氏の寺院であった「山階寺」も山科を去ったことが大きいのではないかと思います。ただ、その中でも神亀5年(728)の僧行基によって、山階寺の墓地と推定される片山墓地が整備され、仏堂が置かれたことや、僧延鎮によって法嚴寺が開かれたことなどは、その後の山科に影響を与える大きな出来事であったと言えるでしょう。

(続く) 

       




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