yamasina wo manabu

(正式名称 山科を学ぶ同好会)




牛尾山法嚴寺 本堂


山科の歴史


第7章 清水寺と牛尾山法嚴寺


講師 鏡山次郎

第三節 延鎮による牛尾山法嚴寺の開基
 


 牛尾山法嚴寺(ほうごんじ)は、寺伝によれば垂(すい)仁(にん)天皇の時代(3世紀末頃?)に大國(おおくにの)不遲(ふち)がこの山を「音羽山」と命名し、山頂に宇賀徳生神王と東山大権現を奉祀の「音羽山権現社」と、生水(しようず)谷へ八大龍王神を奉祀の「北谷権現社」を創建したのが元にあったと伝わります(『法嚴寺由来』『同略伝記』)。また、大化4年(648)には中大兄皇子が音羽山音羽川條へ桜と楓(かえで)を植樹し「紅葉谷(モミジダニ)櫻ヶ丘(サクラガオカ)」(桜ノ馬場)と呼ぶようになったともいいます。

 そして奈良時代に入り、宝亀元年(770)大和國高市郡小嶋寺の賢心法師(後の延鎮)が入山し、行叡と出会います。行叡は延鎮に「観世音の像を彫ってこの地に祀れ」と言って消えていき(『法嚴寺由来』)、五丈岩辺りで登天したと伝えられます。後に大西良慶(清水寺貫主・法嚴寺住職当時)はこの年を「法嚴寺開基」の年としました。延鎮は、3年3カ月をかけて、行叡より受取った柳木で身丈が五尺二寸の観音像を彫り上げました(『法嚴寺略伝記』)。そして、宝亀9年(778)4月に「音羽山頂に伽藍を創建し、勅許を仰ぎ「草庵に奉祀の天智天皇御遺佛の十一面千手千眼観世音菩薩像を本尊にして、國土安全、国利民福の祈祷所で、霊魂菩薩の浄土にせよ」との勅命で「法嚴寺」の寺号を拝命し法嚴寺を開基する。本堂の建立と同時に堂の奥地へ聖霊殿(神明社とも称す)を建て、本願の聖者天智天皇の聖霊を奉祀した。法嚴寺の創建、開祖は延鎮」(『法嚴寺由来』)とされています。なお『牛尾山法嚴寺略縁起と採燈大護摩供復興について』によれば、法嚴寺の創建は宝亀9年(778)4月17日とされています。

 また音羽山清水寺に関しては、創建日は同年4月8日とされ、「奈良小嶋寺賢心(延鎮)夢告により音羽の滝を尋ね、練行中の行叡居士から霊木を授けられ、観音像を彫作、滝上の居士の旧草庵に奉祀して清水寺を草創」(森清範・田辺聖子『古都巡礼 京都二六 清水寺』淡交社、2008年)とされています。


(続く) 

       




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